開院した理由

           「組織人間だった私の挑戦!」

             私は幼いころから人と触れ合って生きてきました。

             運動も野球を小学校から社会人まで続けてきました。その中で仲間

             と同じ目標に向かって汗を流し頑張ってきたことが、今でも自分の

             財産だと思っています。

学校を卒業して実家が飲食店をしていましたが、サラリーマンの道に進みました。

人見知りで、恥ずかしがり屋だった自分が家業を継という選択肢はまったくありませんでした。

このように、ひとりで何かをするという勇気がなくこれまでの人生を送ってきたように思います

しかし、この選択が間違っていたとは今でも思っていません。

それが、あるとき自分の人生を振り返ったときこのままで「ええのかな?」っと思うようになっ

てきました。もっと自分に可能性があるんじゃないかと、何不自由なかったサラリーマンを辞め

新しい事に挑戦しようという気持ちが日に日に溢れてきました。

そこで、昔から憧れていた「治療家」の道に進む決心をいたしました。

院長3

サラリーマン時代

私は学校を卒業して、製薬会社に就職いたしました。

これも野球をやっていたおかげでした。

たまたま、そこの会社には野球部があり新旧交代の時期だったそうで、選手を集めていた

みたいで、私の学校に声を掛けて下さり、顧問の先生から、わたくしに「どうや」と声を

くださりその会社に就職することになりました。

普通でしたら、私の頭では入れなかったと思います。

そのサラリーマン生活も仲間や先輩・後輩に助けられ26年間勤めました。

もちろん、会社にお世話になっていた26年間は野球も頑張って、色々な大会で優勝する

こともできました。

本当に何不自由なかったサラリーマン時代でした。

治療家の想い

治療家への憧れは、学生時代にさかのぼりますが私は野球をやっていましたので、

肩、肘、腰などを痛める事が多く、その都度病院やマッサージに通っていました。

ひどかった時には痛み止めを飲みながらプレーしていました。その時に仲間と同じ

練習をしているのに、「なぜ」自分だけが痛むのか情けない気持ちで一杯でした。

痛みがあるためにこれまで頑張ってきた事が発揮できない悔しさも味わいました。

また、私の仲間もあれだけ頑張ってきたのに大事な試合前に体を壊し試合に参加で

きず悔し涙を流している姿を何度もみました。体のことを勉強したら自分が困って

いる人を助ける事ができるのかな?そういう力が着くのかな、人の役にたてるのか

なと言う思いを持ちましたが、その時はただの思いであってサラリーマンの道を選

択しました。

すべての反対を押し切って

順風満帆のサラリーマン生活にピリオドを打つ時には、予想通り家族・親・友人すべての

人が反対でした。それはその通りだと私も思います。安定した生活を捨ててどうなるのか

分からない世界に飛び込むのですから反対されて当然ですよね。

一旦はその言葉に納得して「治療家」の道を諦めようと思った時期もございました。

月日が流れていきましたが、私の気持ちは「モヤモヤ感」が満載で日々過ごしていました

このモヤモヤした気持ちを再度家族に話をして、本気で「治療家」になって直接「人の役

にたちたい」と言う気持ちが伝わり渋々でしたが「OK」をもらいました。

学校選び(SLCA)

「OK」を貰ってからは、治療家を目指すための学校選びでした。

色々な学校から資料を取り寄せたり見学にいったり、失敗できない学校選びですので納得

するまで足を運びました。

その中からSLCAという少数精鋭の学校を選びました。

もちろん、ここの学校の卒業生の所まで出向いていろいろお話も聞かせて頂き治療院の経

営状態なども包み隠さず教えて頂きこの学校なら大丈夫という思いで選びました。

ただこの学校は入学試験がありそれに合格しないと入学出来ないというシステムで他の学

校のように希望者がすべてOKというものではない厳しさがありました。

しかも、最大4名までという狭き門でした。

結果はなんとか合格することができました。

地獄の研修時代 ~困難の日々~

26年間勤めた製薬会社を退職し、2008年4月から、SLCAの施設(大阪府堺市)に

て、治療の学習をスタートいたしました。

マンツーマンに近い形で、毎日、代表から熱心なご指導を頂きました。

技術習得後は実際に、“独立開院しているのと同じように”患者様の治療を一人で行いまし

た。(プチ開業です)

しかし、ここからが苦難の連続で、サラリーマン時代とはあまりに勝手が違う治療の仕事

に、戸惑い続けました。(人生の中でこれほど勉強したことはなかったです。)

この治療技術を使いこなすのは一筋縄ではいかず、日々反省の繰り返しでした。

正直に言いまして、挫折しそうになったのは1度や2度ではありません。

しかし、家族の反対を押し切っての行動ですので泣き言を言える立場では

ありませんでした。

自分はなんのために会社を辞めてこの道を選んだんだと、自分自身を叱咤激励し歯を食い

しばって一歩一歩確実に「治療家」になる道を歩んでいきました。

苦しいときには、先輩の治療家からアドバイスを頂き、同期の磊先生や村岸先生、研修生

の仲間、家族や友人たちに励まされて、何とかやっていきました。

何より、多くの患者様に、私は育てて頂きました。

地獄の研修時代 ~喜びと感謝~

治療家として施術を行う日々の中で、徐々に大きな治療効果が発揮されるようになりまし

た。

その効果は、治療している私自身も本当に驚くほどでした。

心身の健康を回復することは、人生を大きく変えることに繋がります。

患者様の笑顔を見ること、お話をすることは何より楽しく、嬉しいことです。

やはり、治療家の道に進んで良かったと心底思いました。

この修行時代に、多くの方にご心配、ご迷惑をかけたこと、多くの方に助けて頂いたこと

を忘れてはいけないと思っています。

感謝の気持ちを忘れてはいけないと思います。

人生の中で自分自身が大きく成長できた2年間だと思っています。

独立開院 ~治療家としてもっと成長したい!~

2年に及ぶ学習、研修を経て、2010年5月14日(わたくしの21回目の結婚記念日に)、

大阪の浪速区で開院させて頂きました。

開院後も研修時代と変わらず、

「どうすればもっと治療効果を上げられるか、患者様に心地良い空間を提供できるか」

を考え続け、仲間の治療家と勉強を続けています。

独立した治療家として、もっと甘さを払拭して成長したい。

そして、本当にお困りの方のお役に立ちたい。

これからも、全力で治療させて頂きます。

私事を長々と書き、大変失礼いたしました。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。

素敵なあなたとお会いする日を、心から楽しみにしております。

大阪浪速区カイロプラクティック(整体・気功)

院長 毛利 宏志